損するギバーがなくすもの【44】

損するギバーの疑問点

初めてのコーチングは驚きとこれから頑張るぞ〜!という希望の中無事終了。
しかしゆきみちにはSさんとの会話の中でどうしても引っ掛かることがありました。

損するギバーは相手を依存させる行為である

確かに私は、犠牲的に動く傾向があるので相手が私に依存的になってしまう。それを誘発しているというのはわかります。ですが『人の親切をそのまま受け取る相手に、責任はないのか?』と思っていました。

ゆきみちは、場の空気が読めるというか、相手の感情がなんとな〜くわかるというか…昔からそういうことができるタイプだったと思います。相手の感情に敏感。

また、なるべく人に迷惑をかけてはいけない迷惑をかけるのは悪い事だという意識がとても強いタイプでした。
自分が人に親切された時は、迷惑をかけたのだから必ず返す。あるいは謝る。人に頼ってはいけないと思っているのです。何年職場で一緒だったとしてもこの意識はあまり変わりませんでした。
職場で誰とも仲良くしないということではありません。むしろ人間関係は良好にてしておかないと苦しくなるので、人一倍気を使い、仲良くする。その甲斐あって、職場の人間関係は大体良好でしたし、そういうものだと思っていました。

ただ私のその行動を「社交辞令として察することができない人」が理解できなかったのです。

ゆきみち
ゆきみち

みんな本当は察してるのに、察してないフリをしてるんでしょ?本当はわかってるんでしょー?って思って怒ってました

だんな
だんな

まあそういう人もいるけどね

…ただそう思うなら、「社交辞令として察することができない人」には何もしなきゃいいんですけどね、私はどの人にも公平に自己犠牲をしていました。誰にも冷たくしない。ここがミソだなと思います。

ゆきみちは損をしていたのか?

これはSさん云々という話ではなく、私自身が思っていたことなのですが『損するギバー』の『損』という言葉がどうも苦手でした。

自己犠牲的に働いたことで得たものもある

と思っていたからです。
損するギバーの損する話の例として『本来自分の仕事ではないものを押し付けられる』と言ったものがあります。私はこれすら「だとしてもそれをクリアすれば仕事の幅が増える(=仕事できるようになる、感謝される)からいい面もあるのでは?」と思っているのです。
スーパーポジティブと言えばそうなのですが、自分を潰すことに慣れすぎているというか、ちょっと大丈夫なのこの人?っていう感覚でもあります。

ゆきみち
ゆきみち

これは損するギバーの末期あるあるだと思ってます。何が「自己犠牲」なのか「損」なのかわからなくなってしまっている‥

だんな
だんな

自分が満足できてるなら、別に損ではないかもね

ゆきみちの理論でいくと、仕事ができる人はみんな自己犠牲的であるという事になります。ですが実際はそんな事はありません。仕事ができる事、人に信頼されること、必要とされる事に自己犠牲は関連がないのです。得するギバーの特徴※42話)がまさにそれです。

ちなみに現在は、ものすごく損をしてしまったと思っています。これだけどっぷり損するギバーに浸かっていたゆきみちが、一体何を『損』だと思ったのかは後の漫画で明らかになります。

Sさん直伝ジャーナリング

前回のSさんのコーチングの中で
ゆきみちさんの問題を解決するには、自己を客観的に見る事が必要という事を言われていました。
これは38話でKさんにも言われていた事で、必要不可欠とのこと。

この『自己を客観的に見る』アクションは、コーチングの中でSさんとも一緒にやるらしいのですが、なんと自分でもできるらしいのです。その手法の一つとして教えてもらったのがジャーナリングでした。

…さて『自己を客観的に見る』ジャーナリングとはなんなのか?
そしてなぜそんな事をする必要があるのか?

Sさん
Sさん

詳しくは次回の漫画で!

続く