自愛をする理由
ここ数話、自愛について描いてきました。私が自愛を始めた理由は、自分が自分をボロボロにしていると気づいたから(145話)なのですが、それとは別に
自分に起きている問題は、全て「あるもの」で繋がっている。
私はそれと向き合わなくてはいけない
と言うことがわかり始めていたからでした。
他人の目
私は自身の抱える問題を、コーチングがうまくいかず発狂した時(125話)改めて実感しました。
完璧主義・白黒思考・他人に不要と思われたくない・嫌われたくない(思考の癖)。ずっとこれらを一つ一つ別の問題であると捉えていました。
しかし全て一つの根っこで繋がっていることに気づいたのです。
それが
他人の目
でした。
完璧主義
→母親に愛されたくて真似
白黒思考
→母親に愛されたくて真似
思考の癖
→他人に不要と思われたくない
※母親との関わり方=他人とのコミュニケーションへと発展する為(82話)、完璧主義も白黒思考も人を意識してやっていると言える。
コーチング中に発狂した理由も、元を辿ればSさんの期待に応えたい、でした。
これらを考えた時「他人の目」…つまり思考の癖は、想像の何倍も根深く、私の人生の主権を握ってしまっていると言う事を自覚したのです。特に職場においてA面(母親コピー)が主流になりすぎていた私は、己の思考習慣になんとも言えない恐怖を感じていました。
私は自分を見ず、他人ばかりを見て何年も働いているのです。
このままじゃヤバイ…と本能的に思って自愛を始めてた。ほとんど無意識だったと思う。
やべーね
人間は木のようなもの
この仕組みが腹に落ちてから、人間は「木」と同じようなものなのだな、と思うようになりました。
83話で書いたのですが、人間の性格は幼少期の環境や情報がベースとなり出来上がります。
そこからさらにスクスクと育ち、大人になるにつれ枝葉を伸ばすと考えてみます。
枝は恋愛の枝、仕事の枝、健康の枝、人間関係の枝…など無限に伸びます。しかしある時、問題が起きます。仕事が続かない、人間関係がうまくいかない、恋愛がうまくいかない…これを枝葉が枯れると例えます。
自分の悪いところはある程度自覚できます。これは例えるなら葉や枝が枯れているのはわかると言う事です。
だけど
「何故」その葉が生えてくるのかはわからない
この「何故」が「自分の根」に繋がります。「何故」の答えは、どの書籍を読んでも、ネットを調べても載っていません。自分自身の習慣や過去を追う他ないのです。
例えば職場を変えることは、枝を切り落すことになります。その一瞬はいいけれど、根が変わらなければ、場所を変えても似たような枝葉をつけてしまう可能性が高いです。(ゆきみちはこれでした)
あるいは、違う形で別の問題として葉をつけてしまったりする。「根」を知らなくては、どんなに対処療法をしても根本的には変わらないのです。
だからSさんは「何故」と言うスコップで質問を繰り返し、私には見えない「私の根っこ」を一緒に観に行ってくれたのです。
なんであんなに「何故何故」言われたのか分かったよ
過去とは今の自分に繋がる歴史です
コーチングで何をしていたのか、自分が自分に対し何をしていたのか…が自覚できると、転職に対して、ある疑問が浮かぶようになっていったのでした。
続く