自分への怒り
Sさんへの怒りは妄想ではないか、と旦那に指摘されたゆきみち。心にぐさりと刺さりました。…が、私の怒りはおさまりませんでした。
旦那の言う事はもっともですし、実際Sさんが私に言った事はむしろ真逆(126話)です。
あの時はなんて優しいんだ…!と感動したのに、今の私はネガティブに想像を働かせ、一人で怒ったり拗ねたりしている。そんな大人気ない自分にも無性に腹が立ち、日々を布団を殴るという地獄を作り出していました。
布団…逃げてー!
知っている感情
当時の私の心を書き表すなら
Sさんの心に引っかかりを作りたい
と言った状態でした。漫画内では傷つけたいと描きましたが、物理的に傷つけたいという意味では決してありません。私がどれだけ辛かったかを知らしめたい…!みたいな…前話でも少し書きましたが、駄々っ子のような甘えの一種だと思います。
Sさんのせいではない!と己をたしなめる自分と、許せない!と怒り狂う自分がぐるぐる回り
もうだめだ、退会だーーーーー!
と思った時、パッと目の前が開ける感覚がありました。
…あれ?私この感情知ってるぞ
怒りの正体
Sさんに対する恥ずかしい、悲しい、怒り…これらの一連の感情が、55話コーチング内で出た「バスに乗れなかった自分の感情」と酷似している事に気づいたのです。
55話の話をざっくり書くと
・家族とのお出かけの日に転んでしまい、バスに乗れなかった
・みんなが私を置いていった
・転んだ自分を恥ずかしい、馬鹿!と責めた
こんな感じです。
コーチングの時は『自責』と『悲しさ』をメインに話しましたが、それらと同時に強く抱いた感情がありました。置いていった家族に対する怒りです。
ただ漠然と怒っていた訳ではなく
・今頃みんなで何を話しているのだろう
・転んだ私を馬鹿にしているんだろう
と想像して、歯を食いしばっていた事を覚えています。(帰宅した家族は置いていった事を謝ってくれた気がするのですが、私は許しませんでした。かなり嫌だったのだと思います。)
この一連の流れが今回のSさんへの怒りに酷似している…というのは
バスに乗れなかった
→転職しようとしたのにできなかった
みんなが私を置いていった
→Sさんが私を置いていく(放り出されるだろう、という恐怖/126話)
転んで恥ずかしいと自分を責めた
→うまくできなかった自分への怒り
家族への怒りと妄想
→私の本心をわかってくれなかったSさんへの怒りと妄想
こういう意味です。
改めて書き出すとSさん完全に巻き添えを喰らってるだけなんですが(笑)問題はそこではございません。
【自分が頑張ろうとしたことがうまくいかなかった】
この現実に対して、頭で『仕方なかった』と理性的に割り切ろうとしても、割り切れていない。子供の頃の感情を今もなお引きずり、相手を変えて同じ事を繰り返しているという事です。
これに気がついた時、私は恥ずかしさやモヤモヤが一気に吹き飛び
う、嘘でしょ…?
という感動?のような…信じられない、呆気に取られた不思議な感覚を覚えました。
気づくとびっくりするよね〜
続く