損するギバーがなくすもの【55】

ゆきみちの昔の話

思考の癖探しの旅は後半戦に入ります。
家族の話から、次はゆきみち自身の思い出を振りかえることになりました。漫画では数話しか進んでいませんが、この段階でコーチングは結構な時間が経っておりました。Sさんと話しているのは楽しいのであっという間なのですが、『思考の癖』が出てこないので『あ、コレもう出てこないパターンかな?』と思っていました。だって私の過去は大した話はないから。

忘れていた自分の好きなもの

過去の話を振り返るにあたり、自分が昔好きだったものを思い出すことになりました。
地元のお祭り、幼稚園の文化祭、シャボン玉を吹くこと、一人でぶつぶつ喋りながら人形遊びするのも好きだったなあ…など笑
特に「イベントが好きですね!」と言われた時は「そうだったなあ…」としみじみ思いました。

何故なら、今とはあまりに感情が違うからです。

今もお祭りと聞くとワクワクはするのですが、同時に人が多いから嫌だとか疲れるから嫌だとか…そういう感情が出てきてしまいます。そして大抵、行かないという選択を取る。
幼い頃はキラキラした夜店、親戚と食べる御馳走、御神輿をかついでおやつをもらって…あの日が待ち遠しくて仕方なかったのに。

何故今の自分は『好き』より『嫌い』や『合理性』を優先してしまっているのだろう?『大人になったからかな…』と思っていたのですが、大人になる事は、自分の好きなことを忘れる事ではないですよね…?

不思議だなと思いました。

ゆきみち
ゆきみち

コーチングをすると自分の『好き』を思い出します。遊園地も大好きなのさ!

だんな
だんな

…(行こう!という圧を感じる)

悲しい思い出①バス乗り遅れ

ゆきみちの幼少期にはいくつかの悲しい思い出があるのですが、その一つがこのバスに乗り遅れた話です。コーチング中は笑って話してましたが、内心親に対して『なんなの…?』と思っていました。

親のことは悪く言いたくないですし、昔のことだから事情はわかりませんけど、自分が大人になった今、バス1本くらい待ってくれても良かったのでは…?と思ってしまいます。

キイイイイイイイエェェェェ…

そしてこの事件から、私がこの頃(0〜6歳という幼少期)からすでに『恥ずかしい』という意識と『自分を責める』という行動が見られたことが発覚します。これはとても特徴的だ、とSさんから指摘を受けましたが、私は

『え?そんなもんでしょ』
と思っていました。

私は当時、転ぶ事は恥ずかしい…と思っていましたし、人に馬鹿にされることも恥ずかしい…どちらも嫌だと思っていました。ただ、冷静に考えると

転ぶことの「何が」恥ずかしいのか?
馬鹿にされることの「何が」恥ずかしいのか?
私は「何が」嫌なのか

がわからないのです。
例えば今、目の前で子供が転んだとします。私が見ていたら『大丈夫かな?』と心配はしますが、別に馬鹿にしたり笑ったりしません。(転んだ本人がどう思うかはわかりませんが…)
でも、自分の時は馬鹿にされる、笑われると思っている。

ゆきみちがコーチング中にSさんに言った

子供が転ぶと大人は笑いますよね?

というのも、冷静に考えたらそんなことないよね…?とわかります。でも私は転ぶ事=笑われると思い、同時に恥ずかしいと思っている。
ちなみにSさんはこの意見については同意も否定もしませんでした。

ゆきみちは一体『何を』恥ずかしいと思っているのか…?

Sさん
Sさん

少しずつ近づいてきましたよ!

続く