頭の中にスーッと「自分は自分に嫌われているのではないか」という意識が頭に浮かんできたゆきみち。何故そのような意識が生まれたのか、私なりの見解を書きます。
自分を俯瞰する
話が遡りますが、64話で私はコーチング動画を何度も見返していたという話を書きました。この行動が私のその後に大きな変化を与えた、とコメント欄で書きました。これがその答えです。
私はこの行為が結果的に
自分を俯瞰してみる
ことに大きな役割を果たしてくれた、と考えています。
※俯瞰して見る…高いところから見下ろす事。ここでは自分を客観的に見るという意味で読んでください。
自分が自分の事を話している姿を、何度も見て(聞いて)みる
イメージ的には、スポーツ選手がフォームを客観的に確認するため、自分を撮影して見るのに近いかな?と思います。なお漫画ではテレビのキャスターを例にしました。私たちはテレビの中の人を客観的に見ていますが、その感覚で自分の発言や行動を見つめてみる。私はこれをコーチング動画でやったのではないか?と。
当然やろうと思ってやった訳ではありませんし、あくまで結果論というか、私の体感です。
最初はただ、自分が楽しくて何度も見ていただけでした。頭が真っ白になった時…ある意味強制的にそれまでの自分の視点が外れた時、『内容チェック』として見ていた動画が『自分をどう扱っているか』という他人の目で見れた。
そこには頑張った私を認めず、応援もしない。褒められて表面上では笑っていても、どこかで『本当かな?』と疑う…嫌な奴がはっきりと映っていました。
うおおおおおおおおおい
ドンマイ
自分自身に謝る
コーチングで自分の過去を客観的に見るよう努めた事、『A面・B面』という人格を出してもらった事、ジャーナリングや諸々のワークを続ける事…その中で私には
自分の中には、もう一人自分がいる
という感覚が生まれていました。
※こういう表現はちょっと苦手…と感じる方は「自分の本音・自分の素直な感情」などに置き換えてもらえればと思います。
周囲の空気を読んで、他人を察して、なんだかんだうまくやってる!と思っていたけど、私は自分の声を察してあげることが全然できていない。いつもダメだと怒っていて、全く褒めない。
そもそも私は褒められることが苦手でした。
・お世辞を真に受けるのはみっともない
・裏で何かを企まれているみたいで、重い
そう考えてしまう自分がいたからです。(6話)
でも今は、他人の褒め言葉は一旦受け取る方がいいと思うようなりました。
どうしても受け取れないならそっとしておく、でも「そんなの嘘だ!」とケチをつけるのはやめる。褒め言葉は心の栄養であり、プレゼントだから。無下に扱うと自分を悲しませるからです。(ちなみに褒め言葉が受け取れない人には、自己肯定感の低さが絡んでいると思います。これは別のところで描きたいと思います
※↓こちらです
他人からの褒め言葉が受け取れなくても、自分くらいは自分に「素敵じゃ〜ん」って言ってあげればよかった。でもできなかった。他人に何をしたら嫌われるかはわかるのに、自分にしてるってなんでわからなかったんだろう。
私はずっと酷い扱いをしてしまった自分自身に対して
いじめてごめんなさい
と謝り、生まれて初めて自分の事を思って泣きました。
続く