ゆきみちの思い出
思考の癖探しの旅は後半戦に入ります。
漫画では数話しか進んでいませんが、コーチングは結構な時間が経っておりました。『思考の癖』が出てこないので『私に癖はないんじゃないの』と思っていました。
だって私の過去に大した話はないから。
自分が大好きなもの
過去の話を振り返るにあたり、自分が昔好きだったものを思い出すことになりました。
地元のお祭り、幼稚園の文化祭、シャボン玉、一人でぶつぶつ喋りながら人形遊びするのも好きだったな…など笑
特に「イベントが好きですね!」と言われた時は懐かしさに心が温かくなりました。
何故なら、今とはあまりに感情が違うからです。
今はお祭りやイベントと聞くと、ワクワクよりも人が多いから嫌とか疲れるから嫌とか…そういうマイナス感情が強く出てきてしまいます。そして大抵行かないという選択を取ります。
幼い頃は、あの日が待ち遠しくて仕方なかったのに。
何故今の自分は『好き』より『嫌い』や『合理性』を優先してしまっているのだろう?大人になったから…と思っていたのですが、大人になる事は自分の好きなことを忘れる事ではないはずです。
不思議だなと思いました。
コーチングをすると自分の『好き』を思い出します。遊園地も大好きなのさ!
…(行こう!という圧を感じる)
悲しい思い出①バス乗り遅れ
ゆきみちの幼少期にはいくつかの悲しい思い出があるのですが、その一つがこのバスに乗り遅れた話です。コーチング中は笑って話してましたが、内心親に対して『なんなの…?』と怒っていました。
親のことはあまり悪く言いたくないし当時の事情もわかりませんが、バス1本くらい待ってくれても良かったのでは…?と思ってしまうのです。
キイイイイイイイエェェェェ…
そしてこの事件から、私がこの頃(0〜6歳という幼少期)からすでに『恥ずかしい』という意識と『自分を責める』行動が見られたことが発覚します。これはとても特徴的だ、とSさんから指摘を受けましたが、私は
『え?そんなもんでしょ』
と思っていました。
私は当時、転ぶ事は恥ずかしいと思っていましたし、人に馬鹿にされることも恥ずかしい、どちらも嫌だと思っていました。ただゆきみちがSさんにした
子供が転ぶと大人って笑いますよね
この発言…本当にそうでしょうか。
※この場合の笑いは嘲笑(あざけって笑い者にすること)です
例えば今、私の目の前で子供が転んだとしたら怪我を心配はしますが、馬鹿にしたりしません。馬鹿にする理由がないからです。だから恥ずかしい事でもないはずなのです。
転ぶことの「何が」恥ずかしいのか?
馬鹿にされることの「何が」恥ずかしいのか?
冷静に考えると、わからないのです。
少しずつ近づいてきましたよ!
続く