注:実際のコーチングは、長い時間コーチと対話をしながら行います。一部編集されている旨ご了承ください。
ゆきみちの父
次は父親の話です。
ゆきみちの父は私が物心ついた頃すでに心を患っており、会社に行ったり行かなかったり…休職を繰り返していました。
祖父は大正生まれのいわゆる『男性たるものこうであるべき!』タイプで、会社に行けない父を叱っていた記憶があります。男性は外で働くのが当たり前、心の病など怠けだ!気持ちをしっかり持て!というやつです。(※私はこの考え方を良いとは思っていません)
ただ祖父が特別だったとは思っていなくて、祖父と同世代の多くの方が持っていた価値観ではないか?と思っています。今ほど心の病への理解もなかった時代ですしね。
父はパチンコには喜んで行くのよ…!それを見たらおじーちゃんが怒りたくなる気持ちもわかるんだ
時代もあるよね
家族を困らせている
そんな父に対してゆきみちが感じていた事、それは『家族を困らせないで欲しい』でした。
学校から帰ると寝ているお父さん…重い空気とセットで蘇る記憶。
祖父にせよ母にせよ、休む父に突然怒鳴り散らすわけではありませんでした。
ですが、彼らが口に出さなくても空気を感じるのです。『不安』『怒り』『諦め』…これらを子供なりに察して、父の行為はいけないことだ、父は家族を苦しめる困った人だと思っていました。
そんな空気を壊したくて、家族に作り笑顔を振りまいていた記憶もあります。
一生懸命お手伝いをするのも、母を助けようと頑張るのも空気を和ませる為。十分ありうることではないでしょうか、とSさんに指摘されました。
ゆきみちの周囲の空気を読む力は、ここで強く養われたのかもしれません
とても優しい子ですよね
父への感情は「無」
改めて父の事を書き出した時、『何も思わない』ということに気づきました。
前述したとおり、昔から父が家族の事を困らせていたという気持ちはありましたが、それも含めて『仕方ない事』と思っていました。むしろ病気を抱えながら大学まで出してもらったのだから感謝すべきと思っている。
また父はとても無口で、いつもニコニコしているだけ。私のやる事に意見をしない人でした。48話でも触れましたが、私の勉学・進路についても何も言われませんでした。
父に何かを押し付けられたり、喧嘩をしたり、怒られた記憶がない。
逆に褒められた記憶もない。
父に対する感情それは『好きでも嫌いでもない、マスコットみたい』
これは記入したワークの文字量にも表れていて、父への記述は母の半分以下でした。
お母様のことはたくさん書いてあったのに…不思議ですね
ここで一回家族の話題はまとめに入ります。
これらの状況・家族への思いが作り出すゆきみちの性格はどう言ったものなのか?そしてそれは思考の癖とどう関わるのか?
続く