








仮にそうだとしたら
旦那に「Sさんにも本音を言わなかったんじゃないか」と指摘されたゆきみち。一番最初に思ったことは

それはない!
でした。コーチングで正直に話すことの大切さは、家族との過去を振り返った際(51話〜)身に染みてました。(詳細は番外編をご覧ください)何よりSさんの事を信頼していましたし、嘘をつく必要などないとわかっています。
しかし…もし旦那の言うとおり、私が本音を話していなかったとしたら?残念ながら辻褄があってしまうのです。
どこからが本音?
私は前職でデザイナー+ディレクターとして仕事をしていました。しかしもともとデザイナーです。はっきり言って仕舞えば、別にディレクターをしたくて会社に入ったわけではありません。
ディレクション(段取り)は業務をスムーズに進めるために必要なもので、デザイン業務だけでは売り上げが取れない会社だっただけです。
特に3社目は小さなメーカーで、入社前からそのことは言われていました。自分でもわかっているつもりでした。仕事だから仕方ない、と。
またこれまでも再三お伝えした通り私は
・人のために動くことは良いことだ
・人に迷惑をかけないよう気をつけるべき
・仕事はあるだけありがたい、なんでも感謝してやる
こう言った考えが特に仕事に対して強い人間でした。一瞬『良い事では?』と思われそうですが、もう少し突っ込んで言うと
・人のために動かない奴はダメ
・人に迷惑をかけてはダメ
・仕事や置かれた環境に対して文句を言うのは、悪である
→文句を言うなら辞めろ
こう言う考え方でした。
他人や環境のせいにするな、仕事ができない自分が悪いのだから、迷惑をかけないようスキルを高めるべき。年齢的にもずっとプレイヤーでいてはいけない。広範囲で仕事を見るのが正しいことだ(ディレクションも必要な仕事だ)と考えていました。
これはそうしたかった、と言うより『一般的にそう言うものだ』と言う、義務感的なものです。
そうやってディレクターを兼任し、業務がスムーズに進めば周囲にも感謝され嬉しかった。だからこれで良いんだ、自分は向いてるのかもしれないとすら思っていました。
結果的に面接官やコーチ、転職エージェントから見て「なんでもできる」社会人になった訳です。
だけど、改めて自分を客観的に見た時…これは自分がやりたくて積み上げたものだったのだろうか?
やりたくない事を続けた結果、できるようになっただけなのでは?
そう感じてしまったのです。
できない事ができるようになることが悪いという意味ではありません。問題はできるようになった時、自分の心はどう感じたのかということです。
できるから、仕事だから、迷惑かけたくないから、周囲に喜ばれたからやってただけ。私の心は全然喜んでいない。それに気づかずSさんに意気揚々と自分の向いている事、できる事として話していたとしたら?
…一体どこからが本音なのでしょうか。

うわあああん

ワクワク感情は大事なんやで
世間的に言われている『良い事』を愚直にこなしていたはずなのに、真面目で正しくあったはずなのに、私は自分の事が全くわからなくなっていました。
続く